動揺

午後五時半。

柳楽に「ここではなんだから」と、促されるまま、駅へ向かった。

スクールバスを降りて数分歩くと、なにかの店らしき建物に着いた。

通勤では入ったことのない、裏路地をいくつも通過しなければ辿り着けないような入り組んだ場所にある。

 

「いらっしゃいませ」

 

中へ入ると、店員らしき人が迎えてくれた。

丸メガネで、優しい顔をした男性。歳は20代後半てところか。

店内を見渡すと、奥まで続く長いカウンターと4人掛けのテーブルが3つ置かれている。

こぢんまりとした個人経営の喫茶店という感じだ。後で分かったのだが、夜はBAR営業もしているらしい。

内装は、基本的には純喫茶のような木造になっていて、柔らかい温かみのあるライトで照らされているのだが、所々に特徴的な箇所が見受けられる。

ステンドグラスやシャンデリアなどの洋風なもの、畳や障子などの和風なものが混在しているのだ。大正ロマンというか和洋折衷というか。外とは、空間が隔てられているような、独特な雰囲気を醸し出している。

一言では言い表せない珍しいスタイルになっている。

 

「ああ、柳楽刑事。どうもです」

「ういー、ここいい?」

 

柳楽が、奥側のテーブル席を指差して言う。

 

「ええ、お好きなところへ」

 

聞くが早いか、歩き出す柳楽。

話しぶりからして、この店の常連なのだろうと思った。

 

柳楽の選んだ卓の前まで足を運ぶ。

上着を椅子に掛けようとして、椅子の背もたれに細かい彫刻が施されているのに気が付いた。店主のこだわりが反映されているのだろう。

しかし、アンティーク調ではあるものの、案外使い古された感は無く、傷や汚れはまだあまりないようだ。

 

――この店の歴史は意外と浅いのかもな。

そんなことを考えながら、柳楽と対面しない対角線上の席に着いた。

 

注文したホットコーヒーが運ばれると、柳楽はやっと口を開いた。

 

「いやーね。最近、物騒な事件が続いてましてね。知ってます?赤海市内破裂死体事件」

 

「はれつ死体いき……?ああ、少し前からニュースでやってるあれですか」

 

「そうです。今回お願いしたいのは、その件に関してなんですが」

 

赤海市内破裂死体事件とは、2週間ほど前に市内で発見された死体の頭部が爆散して原型を留めていなかったというもので、特殊な事件として、鋭意捜査中なのだそうだ。

 

「その事件に関しては、わかりました。でも、どうして刑事さんが私を訪ねてきたんですか?」

 

「いやーね。破裂した頭が強烈なんで、軽視されているんですが、被害者の服装と持ち物も非常に興味深いんですよね。これなんですが」

 

すっと、机の上に写真を数枚置いて、私の手元へ差し出す。

それを見て、血の気が引く。

おそらく、事件現場の写真だ。1枚目は胸から上が撮影してある。話の通りで首から上は、破裂したようにぐちゃぐちゃになっている。

2枚目以降の写真は重なっていて、よく見えない。

 

「こ、これは……。なんですか突然……!」

 

「これ、捜査資料なので口外無用でお願いしますよー?こんなことバレたら私の首も吹っ飛ぶので。ははっ」

 

全く笑えない冗談を挟む。

こんな写真を見ることなど、日常茶飯事で麻痺してしまっているのだろうか。

柳楽は説明を続ける。

 

「この23枚目を見てほしいんですよね」

 

重なっていた他の写真が見えるように広げる。

 

「はあ」

 

「ここ見てください。」

 

2枚目を指差す柳楽。

 

見ると、一枚の紙が地面に落ちていて、筆のようなもので、とある印が描かれている。

 

「!?……え、これって……

 

驚きで言葉が詰まる。

あまりにも見覚えのある印。

 

「ご存知ですよね?このマーク。境常神道で多用される境常印」

 

「ええ、もちろん。研究対象ですから」

 

境常神道とは、この赤海市を本山として根を生やす民族宗教だ。

 

「我々……というか私は、この事件と境常神道の関わりは浅くはないのではないかと考えています」

 

「なるほど。つまり、私がこの分野の専攻で、さらに境常神道に関する研究をしていることを知った上で、訪ねて来られた」

 

「はい。ぜひ協力していただけないかと思いまして」

 

……

 

「そういえば、その3枚目は?」

 

「ああ、これは全身を写した写真なんですが、服装が特徴的でしてね。」

 

3枚目だけつまみ上げて、私の手元に置き直す。

その横たわる何者かは、白く丈の長い服を着ている。インドの民族衣装に近いだろうか。血液が衣服に飛び散っているが、気にしないようにして、服装にピントを合わせる。

 

「私なりに調べたところ、境常神道で使用されている作務衣ではないようで、注目しているんですよね。先生こちらは……?」

 

「いえ、私も知りません」

未知の領域を踏み込んでいる感覚に、妙な高揚感を覚える。

 

「私の調べでは、信者は通常時白い作務衣を着る習わしとなっているはずです。もしくは、現代の風習にならって洋服で過ごしているはず……

 

「やはり、気になりますか」

 

憎たらしい目つきで口角を上げた柳楽が、こちらを見て言う。

 

「まあ、はい。……でも、どうして私に?境常神道に関する研究者なら、複数名いらっしゃると思いますが。それに、もっと有力な方も」

 

「あー、まあ……それは。いえいえ!山井先生にお願いしようと思いまして。真っ先にお尋ねした次第でございます、はい」

 

随分と歯切れの悪い言い方をする。

大方、他の研究者には断られたっていうところだろう。

 

それから1時間ほど話して店を出た。

協力できるようなら連絡をしてくれ、と言われて連絡先を渡された。

 

駅までの道中、コンビニで傘を買った。