鍛錬2

家に着くと、ルナーはそのまま自分の部屋に行ってしまった。

「今日は2回目ね。昨日は識字をやってみたけど、どうだった?」

 

「まあ、案外やれるもんだな。」

 

「余裕ねえー。実際良い感じだったもんね。でも、今日はそんな一筋縄ではいかないかもよ。」

 

「へえ。」

 

「今日も昨日に引き続き、感知を鍛えてもらおうと思うんだけど。」

 

「え?感知は昨日で終わったんじゃ?」

 

「眼識。目で見る方はね。尤は優秀だから、1日で結構使えるようになった。でも、魔力感知にはもう1つの重要な方法がある。」

 

「もう1つの…?」

 

「うん。これが魔術師にとって、最も有用な魔力感知の方法よ。人に備わる五感の外側。世に言う第六感。」

 

「んー……。」

 

「説明が難しいんだけどね。超感覚的知覚って言うのかな。見てもいない。聴いてもいない。嗅いでも、味わっても、触ってもいない。五感ではないどこかで分かる。その感覚を養って欲しい。」

 

「いや、むりだろ。」

 

「まあ、そう言わずに…。尤はお腹が空いたらどうする?」

 

「え。飯を食う…?」

 

「そうよね。ご飯を食べる。でも、どうして?」

 

「どうしてって…。腹が減ったからだろ。」

 

「お腹が空いたから。つまり、空腹を満たすための手段として食事をする。そういう事ね?」

 

「ああ。当たり前だろ。」

 

「そうかな?尤が他の方法を知らないだけかもしれないとは思わない?」

 

「はあ?何が言いたいんだ。」

 

「えっとね。空腹を満たす方法は食事しかないと思っている人は多い。もっと言うと、普通の人にとって、欲求は行動によって満たされるのが自然で、その方法は1つだけなの。」

 

「まあ、うん。」

 

「ただ、魔術師は違う。私達は新たな方法を知っている。食事で言うと、そもそも空腹を感じない身体に変えたり、食料を口から胃に送り込む行為を省略する。魔力の存在がそれを可能にする。魔力は肉体の代わりに目的を実現する。空腹から食事にしか繋がらない人は、それが最善なのではなく、物を食べるという解決策以外を知らないだけ。魔力という新たな手段により、人間は食事とは別の新しい方法を獲得する。これを我々は魔法と呼んでいる。」

 

「魔法…。魔術じゃないのか?」

 

「そこなの。魔法と魔術は混同されがちだけど、明確な違いがある。魔法は原始的な魔力活動なのに対して、魔術はそこから発展した学術的な側面が強い。方法論自体が魔術と呼ばれたりするわね。」

 

「なるほど。でも、魔法は原始的なはずなのに俺を含めて、多くの人間は使えない。方法論ではない魔力活動ってのは後天的に身につくものなのか?」

 

「うんうん。尤は潜在意識ってわかる?」

 

「えっと。考えていないのに意識してるみたいな…?」

 

「そう。その潜在意識の中でももっとも深い層を阿頼耶識と呼んだりするの。人間が普通に生きていれば、認識する事の無い領域。それを意識と呼ぶのかと疑問に思うほど、人の核となるような原動力。人間のあらゆる潜在的な欲求、目的がここから生まれている。」

 

「へぇ…。それが魔法と関係あるのか?」

 

「ええ。密接な関係がある。阿頼耶識から生まれた目的はより浅い階層へ伝わって、明確な意識となり、最終的には行動に繋がる。

この行動原理は基本的に全ての人間に当てはまるわ。でも、常人と魔術師の決定的な違いは行動に出る。

常人は肉体を使用して行動するが、魔術師は魔力を使用して行動する。」

 

「魔法…か…。」

 

「正解。魔法っていうのはそのくらい簡単というか反射的に働くものなの。脳以外の機能を使用せず、魔力を消費して目的を実現する、単純かつ直接的な魔力活動。それが魔法。魔術には魔法が必要だから、まずは魔法を覚えましょうという話よ。」

 

「なるほど…。」

 

「難しそうに聞こえたかもしれないわね。でも、私が1から教えるから、大丈夫。きっとできるわ。」

 

憐は笑顔でそう言う。

気を使われているのか…。

それほど、難しいものなんだろう。

自分には才能があるんだろうか。

期待と不安が混在した妙な気持ちになる。

 

「それに、私は確かに見たのよ。あの雨の日、あなたが魔術を使うところを。」

 

また、その話か。

いくら言われても覚えていない。

俺はなぜかあの日の事をあまり覚えていない。

というか、重要な記憶が局所的に欠損しているようだ。

しかし、記憶が無くなってもおかしくないほどの恐怖を味わった。

あの日。あの雨の日。

俺は憐に命を救われた。

ただ、憐はそうじゃないと言い張る。

詳細はなぜか教えてくれない。

あの雨の日に何があったのかは俺には謎なのだ。

そんな事を根拠に言われたって、何の自信にも繋がらないだろ。

 

「だから、大丈夫!」

 

何が大丈夫なんだか。

釈然としないまま、鍛錬が始まった。

 

はじめに、憐に促されて瞑想をした。

瞑想といえば、無心になるための修行法のイメージだったが、これが一番オーソドックスなんだそうだ。

俺の体内に宿るという魔力に全ての意識を向ける。それだけを感じ取る事に集中する。

 

しかし、何も感じられない。

目で見るのとはわけが違う。感じる事の難しさ。

考えてみれば当たり前だ。

意識せずとも霊や妖怪を見る事はあった。

けれど、その気配を感じる事なんてこれまで無かったんだ。

それは体内の魔力に対しても、やはり同じ。

目を瞑っても、座禅を組んでも、暗い部屋に閉じこもっても、何も起きなかった。

 

「はぁ…。だめだ。」

 

「みたいね…。」

 

「なぁ。魔法を使うってどんな感覚なんだ?」

 

「それね…。混乱すると思ってあえて話してなかったんだけど。捉え方は人それぞれ。縄を手繰り寄せるようにとか。空気と一体化するようにとか言うけど。あれは言葉にされてもピンと来ないのよねー。」

 

「そうか…。」

自分なりの道筋で辿り着くしかないのだと言う。

答えがあるかどうか分からない問題に挑む学者達はこんな気持ちで取り組んでいるのだろうか。

いくら目を瞑って唸っていても、この身体に眠るはずの魔力を感じ取る事はできない。

 

結局、この日の成果はなかった。

手がかりやヒントはなく。ただひたすらに祈る事しか出来ない。

ほんのパーセントも特別な物を感じ取る事はできなかった。

 

低く設定されたハードルを越えられない。屈辱感と無力感に襲われる。

成長が実感できたところで何があるわけでもないけれど。