語り(ルナー) 未完成

私は野良猫だった。この街では猫たちは徒党を組んでいて、集団で生活をしている。体の大きな猫は食料を取ってきて、子供達に分け与える。それ以外の猫は縄張りで子供たちの面倒を見る。そうやってなんとなくだけれど、それぞれに役目があってそれを果たして生活をしていた。

しかし、私に役目を与えられることはなかった。除け者にされていた。

見た目が他の猫とは違うし、よく気を失って倒れる事が多かった。だから、何をするにも足手まといになる。どこから来たのか分からないこんな余所者が仲間として認めてもらえるわけがなかった。

 

気を失って目を覚ますと、決まって他の猫の姿は無かった。なぜか他の猫は私に怯え、私の元を去って行った。

そんな事が数回も繰り返されると誰にも相手にされなくなった。

 

だから、誰の助けも借りず、一匹で生きなければならなかった。

 

でも、それには限界があった。

 

自分が何者なのかも分からないまま、自分を憎んだ。初めから何も知らない私は生き続ける事で分からない事が増えて、生きている意味さえ分からなかった。けれど、お腹は空いて喉は渇く。その苦痛から逃れるために食料を探し、次の日に繋げる。ただただ、それだけの日々が続いた。

 

そんな時にドクターと出会った。

食料を探しに歩き回っていた私は人通りの少ない路地でドクターと出会った。

白衣を着ている初老の男性だ。ぼーっと空を見上げて突っ立っている。

私に気付くと、少し驚いた表情をする。

それからにっこりと笑うと、ポケットからなにやら食べ物らしき物を取り出し、私の方へ差し出した。

人間に食べ物を恵んでもらった事は何度かある。人間がこの表情をした時は何かしらの食べ物をくれるという事だ。

私はドクターのもとへ駆け寄ると、出されたものに食らいついた。

甘くてサクサクとした、茶色い円盤。それは間違いなく美味しい食べ物だった。

後からそれはクッキーという食べ物だとわかった。

ドクターは度々現れて、食べ物をくれた。くれる物は決まって、甘いお菓子だった。

ある日、いつものようにドクターは現れた。しかし、ポケットに手を入れて食べ物を探す様子はない。ドクターは私のもとへ歩み寄ってきて、私を抱きかかえた。

いつもそんな事はしないので驚いたけれど、抵抗はしなかった。私の顔をじっと見て、何か問いかけて優しい笑みを浮かべた。すると、そのまま歩き出した。

抵抗はしない。

この優しい人に対してそんは必要はない。それよりも、今日は何をしてくれるんだというワクワクがあった。

 

結果を言ってしまうと、ドクターは私を拾ってくれたのだった。

家に着くとそこから、ドクターとの生活が始まった。

ドクターとの生活に不満はないが、不安はあった。

いつ私の呪いがドクターを傷つけてしまうのかという危機感だ。

 

新しい生活が始まって数日。

やはり、それは起こった。

 

意識が朦朧としてくる。

目を覚まそうと、必死で足掻こうとするがそれは叶わない。

手足が動かない。

まぶたが落ちる。

 

 

暗転

 

目を覚ました時、悲惨な状態だった。

部屋の壁紙は破れ、電球は割れ、家具は倒れて中身が出ている。そして、無数の引っ掻き傷。

間違いなく私がやったものだった。

落胆する。優しい人に拾ってもらっても、私は私自身の呪いで平穏に暮らす事は許されない。

脱力して、倒れこみそうになる。

が、倒れない。体が支えられているような感覚がある。

視線を落とすと、そこには私の腕を抑えるドクターがいた。

身体中傷だらけになってしまっている。

ドクターはとても怯えていたが、顔を上げると私の方を見て、優しく笑ってくれた。

私のせいだ。やっぱり、私は誰にも理解してもらえない。

 

そこで異変に気付いた。

何かおかしい。

いつもと視線の高さが違う。いつも見上げているドクターの顔が今は少し近く感じる。

何が起こっているんだ。

 

自身の身体を触ったり、見たりして確かめる。

やはり、何かおかしい。

少しして私の姿は人間に変わってしまったのだと分かった。そして、今までの呪いのような現象はこの姿と深い関係があるのだと直感した。状況的に疑いようがなかった。

なんなんだこれは。さっぱり見当がつかない。

ただ、私の望む暮らしのためにはこの問題を解決しなければならない。そう確信した。

 

ドクターは怪我を負わせてしまったのにも関わらず、変わらず優しくしてくれた。

何度か人型の私が暴れることもあったが、その度にドクターが止めに入ってくれた。

目が覚めるといつもドクターが抱き抱えてくれている。今までに感じたことのない安心感と幸福感のある生活していた。

 

いくつか分かった事があった。

私の呪いは数日に一度起こる。

気を失うと、人型になり、無意識下で暴れまわってしまう。

暴れた後、猫に戻ってから目覚めるか、人型の状態で目覚めるかその時によって違う。

そして、一番驚いたのは意識的に人化する事も可能であるという事だ。

これまで、人から猫へと戻る事はあっても、人へ化ける時の意識は無かったから、初めてそれを経験した時には驚いた。人化なは独特の感覚あって、偶発的にそれが起きた時の感覚を真似る事ですぐに自力で人化する事が出来るようになった。

 

それから1ヶ月もすると、化けたり戻ったりを自在にコントロールできるようになった。

その頃には気絶と暴走はほとんど起こらなくなっていた。

それと同じ時期にドクターは言葉を教えてくれるようになった。その頃にはドクターが言いたい事はだいたい理解できていたが、私がしゃべる事は出来なかった。ドクターの熱心な教えもあって、言葉を話せるようになるのにそう時間は掛からなかった。人化さえすれば人間と同等の会話ができるまでに成長した。

私はドクターと会話できるようになったのが嬉しかった。

 

しかし、ドクターとの幸せな生活はそう長く続かなかった。

ある日を境にドクターはおかしくなってしまった。

ドクターは実験と言って、私をたくさんいじめるようになった。

私には何が起きているのか分からなかった。

得体の知れない薬を飲まされたり、怪しい注射を打たれたり、一日中拘束されたりした。

苦しみだけで毎日が過ぎた。

やめてほしいと訴えてもやめてくれなかった。

考えて考えて、考え続けたけれどそれでも何も分からなかった。

たった1人の頼れる人に私は裏切られた。

その事実が一番悲しかった。

私を救ってくれたドクター。あんなに優しかったドクターは急変してしまった。あの日から一度もドクターの笑顔を見てはいない。

あの頃のドクターはもういないんだ。

もうドクターを信じられない。