密告

「この通路をまっすぐね。」

 

「あれ?あそこ明るくないか?」

 

進行方向の先にある一室にやんわりと明かりがついている。

 

「ほんとだ…。行こう。」

 

「ああ。」

 

明かりの灯る部屋の前まで来ると、そこが研究開発室である事がわかった。

 

「………ったー…………んだよ…。」

 

ん?何か聞こえる。

やっぱり人がいるんだ。

 

「…あのジジィ……ったのによ……。」

 

何か喋っている。

ただ、1人の声しか聞こえない。

 

憐はドアに手を掛けて、ゆっくりとひねる。

それから、慎重に引くと室内の様子が確認できた。

 

「俺はこれからどうなるんだ…。」

男性は独り言を呟いていた。

 

狭い隙間から中を確認するが、他の人間は見当たらない。

だけど、1人だとしても会社の人間が残っているのは予想外だ。

 

「行くぞ。」

 

と言うと、尤は間髪入れずにドアノブに手を掛ける。

ガチャ

 

「ん?」

男が振り向く。

 

「え、ちょっと…!」

慌てて、憐も研究開発室の中へ入る。

尤は男をまっすぐ見て、一言。

 

「おい!」

 

敵意剥き出しで放った声は男の警戒を煽る。

 

「!!…だれだ!?」

 

「ちょっと良いか。」

 

「え…?」

男は動揺というか、混乱している。

いまいち状況が掴めていない。

目の前の人間は何者で、目的は何なのか。

その見た目からは想像も付かず、質問を投げかけるしか、男に出来る事はない。

 

「話を聞きに来た。」

そう言われて、ポカンとする男。

 

 

「いきなりごめんなさい!私達はその…怪しい者ではなくて!」

この状況をどうにかしようと、憐がなんとか取り繕って喋る。

 

「………。」

 

「ど、泥棒…か?」

少しずつ、状況が見えてきて、男の警戒心が強くなる。

この部屋で2対1という事もあるが、それ以上に2人の目的が読めない。

正直、泥棒にしてもしっくり来ない。

金目の物など、ここには無い。

何のために侵入したのか分からないため、男は恐怖というよりも不気味。

 

「いや違います!!あの私達、別に悪い事をしに来たんじゃなくて。人探しに来たんです。」

 

「人探し?」

 

「ええ。10代前半の女の子で髪は明るい色の子なんですが。」

 

「髪の明るい…女の子…。」

 

「何か思い当たる節が?」

 

「ん。いや…。」

目をそらす男。

 

「もしかして、何か知ってるの?」

 

「いや、何も知らん。何の事かまったく…。」

何かをはぐらかしている様な。

見るからに怪しい。

すると、男がチラッと後方に注意を逸らす。

それを憐は見逃さない。

そこには男の机があった。

卓球台ほどある天板の大きい机。

中央にはコンピュータのディスプレイが置いてあり、その周りを囲うように用紙が大量に積み上げられている。大半の用紙は端が折れていたり、くしゃくしゃ。雑な積み上げ方もあって今にも崩れそうだ。製薬研究の資料なのか細かく文章が書かれており、一目では内容の判別はできない。

そして、パソコンの前にはほんの少しの隙間があり、キーボード、マウス、マグカップ。それから、今読んでいたであろう冊子が一部だけ置いてある。これも研究資料なんだろう。

散らかっているある意味研究者らしい机。

 

「んー。それが何か?」

憐はすっと机に近寄る。

憐はそこに置かれた冊子を手に取る。

研究資料と書かれている。

 

「おい!!」

男は不意の行動に戸惑いを見せる。

が、憐は無視をして手に取った冊子をペラペラとめくる。

 

「おい!何やってんだよ。」

男が憐に近寄ろうとする。

余程見られてはまずい資料だったのか。焦りが顔に浮かぶ。

 

「尤。抑えといて!」

憐は至って冷静に弟子へ指示を送る。

尤は男の腕を掴み、身動きが取れないように抑え込む。

 

男はもがいて抵抗するので、尤を必死になって地面に抑えつける。

少しもつれ合ったがそれでも、抵抗をやめない。

余程大切な物なのか?

それでも、遠慮する事はできない。

 

この男が直接的に関わっていないとしても、その上層が黒く汚れている事は分かっている。

ルナーの事を考えると、少しの時間も無駄にはできない。

申し訳ない気持ちを押し切って非情に徹する。

 

「おっさん、少し黙っててくれ。」

 

「…!?」

鋭く真っ直ぐな目を向けると、観念したのか、それからは静かになった。

 

そこを見ていた憐は1つため息をつく。

理由はどうあれ、この道に引きずり込んだのは憐だ。

安堵ではない。犯罪に手を染めさせてしまったという罪悪感。

 

憐は沈黙の中、読み進める。

 

読み終えると憐は冊子を閉じて、慎重に話を始める。

「私たち別に悪い事をしに来たわけじゃないの。不法侵入についてはごめんなさい。」

 

「……」

男は憐をじっと見つめる。

取り押さえられているのにどこか冷静で、抵抗はもうしそうにない。

 

「この資料について聞かせてもらえます?」

 

「………」

一度だけコクリとうなづいた。

それを見て、馬乗りになっていた尤が男を解放した。

 

 

男は身体中についた埃を払うようにポンポンと身体を叩きながら、立ち上がる。

そして、目の前にある椅子を寄せて、深く腰掛けた。

 

息を吐いて、ぶっきらぼうに口を開く。

「……何が聞きたい。」

 

「知ってる事、全てを教えて。」

 

「まあ。そうだよな。ところでお前ら、何者なんだ?」

 

「いいから、さっさと教えてくれ。時間が無い。」

 

「ああ、わかったよ…。」

 

この異常な聞き分けの良さに疑問を覚える尤だったが、話を遮るのははばかられたので、黙っている事にした。

 

「あなた、ルナーを知っているんでしょ?」

 

「ルナーを知っている…?」

 

「………」

 

「知っているって…?どう言う事だよ。」

 

憐は持っている冊子を開いて、尤に見せる。

 

「これ見て。」

そこにはルナーの顔写真が貼ってあり、被験体という説明書き。

詳細はともかく、これは武藤製薬とルナーの繋がりを示している。

 

「これ……って。」

 

「これで確信が持てた。こんな資料があるって事は個人での事じゃない。武藤は組織的に非人道的な研究を行っている。」

 

「…おい、おっさん!!」

尤が男の胸ぐらを掴む。

 

「ひぃ…!!し、知らないんだ!!俺は何も知らない!!」

 

「尤、やめな!」

殴り掛かろうとするが、すんでのところで憐に止められる。

 

 

「くっ…。」

 

「……はぁ…はぁ。本当に知らない…。」

 

「知らないってどういう事?」

 

「その資料が何よりの証拠だろうが!!しらばっくれるなよ。」

 

「……その資料以上の情報を俺は持ってないんだよ!信じてくれ。」

 

「どういう事?えっと、あなた名前は?」

 

「田所…田所 利也だ。」

 

「田所さん。あなたのところの社長は少女を監禁している。協力してくれないかな。あなたにこれ以上危害を加えるつもりはない。私たちはこの子を救いたいだけ。私たちは監禁されてる子の知り合いなの。…ほんの数日前に出会ったばかりなんだけど。」

 

「社長が…監禁…!?」

 

「ええ。」

 

「証拠はあるのかよ!」

 

「もちろんある。」(good)

「証拠は…ない。」(bad)

 

憐がこれまでの経緯を話し始めた。

ルナーの正体。社長との関係性。地下室の監禁室。男は困惑しながら話を聞く。

 

「なるほど。ルナー…。その子が誰なのか気になってはいたんだ。どおりで、経歴の記載が荒い。ただ…猫の姿に化けるなんて正直信じらねえ。」

 

「そりゃそうよね。私も実際に見てなければ信じられないと思う。」

 

「……本当に社長が関わってるのか?」

 

「うん。資料と私の話に食い違いはある?」

 

「いや、辻褄は合うけど…。お前ら、本当にその子を助けに来たのか…。」

 

「ええ。」

 

「……そうか。」

男は気を落として俯く。

社長が誘拐を企てたなんて、企業として大問題だ。無理もない。

とりあえず、男は俺達の目的を信じてくれたようだ。

 

「それじゃ、知っている事だけは話してもらえる?この資料について。表紙に神秘薬品研究って書いてあるけど。」

 

「ああ、それは社長に渡された資料なんだ。麻薬に毒薬。未知の薬品とその効果。俺にはさっぱりでな。ふざけてるとしか思えなかった。」

 

「武藤から直接?」

 

「そうだ。この資料を渡してきたのは2ヶ月くらい前だったかな。」

 

-----2ヶ月前------

「失礼します。社長、田所です。」

 

「田所か。入れ。」

 

「お久しぶりです。何か用ですか?社長室まで来いだなんて。」

 

「ああ。実は折り入って相談があってな。」

 

「はあ。何ですか?」

 

「これを見てくれ。今やってる研究の資料だ。」

 

「神秘薬品開発…何なんです?これ。」

 

「ん?だから、神秘薬だよ。神秘の力を利用した未知の薬品を開発するんだ。」

 

「え。神秘の力…?いや、正気っすか…社長。」

 

「まあ、君の言いたい事も分かる。自分でも馬鹿げた事を言っているのは承知の上だ。けれど、知ってしまった。体感してしまった。あの圧倒的な力を。あれしか…あれしかないんだ…ゴ、ゴホンゴホッ…ケホッケホッ!!」

 

「だ、大丈夫ですか…社長?」

 

「大丈夫。少しすれば治まる…ゴホッゴホ…。」

 

「ちょっと待っててください。僕、誰か呼んで来ますから。」

 

「田所君!!ゴホッゴホッ…本当に大丈夫なんだ。持病みたいなもんでな。騒ぎにするほどの事じゃないんだ。とにかくこの研究は君にしか頼めないんだよ。お願いできるかな…田所君…。」

 

「も、もちろん。社長の頼みですから、やってみますけど…。」

 

「そうか…良かった。それでは頼んだよ。私はしばらく休む。心配は無用だ。少ししたら成果を聞かせてくれ。」

 

「社長…。」

 

----------

 

「こんな感じだったんだよな。その時は中身も分からないまま、とりあえず引き受けた。ところが、呼んでみたら全くの理解不能。なぜこの仮説を立てているのか。根拠としているのはルナーという少女と生物のように動くという黒い影。」

 

「黒い影…!?」

 

「だいたい、こんな少ない情報で何も分かりっこないんだよ。しかも、あれから2ヶ月間、社長とは少しも話せていない。研究室に篭りきりでまともに取り合ってくれないんだ。この1ヶ月は姿すら見ていない。」

 

「1ヶ月も…。」

 

「それで、どうしてこの馬鹿げた研究を引き受けたの?こんな内容。普通受け入れられない。これを渡された時に知らなかったとしても、確認してから突っぱねたり、放置したとしても不思議じゃない。」

 

 

「うーん、何だろうな。俺は社長を尊敬してるんだよ。社長なら何か根拠があって、やってる事なんだろうって思ったんだ。だから、最初はイかれてると思ったけど、社長ならもしかしてと考えを改めたんだ。」

 

「武藤って信頼されてるのか。」

 

「いや、それはどうだろうな。あんな事もあったし。社内での評判はそれほど良くは無いかもな。俺は家庭と職場は別問題だと思ってるから、分けて考えてるけど。」

 

「何かあったの?」

 

「ん?ああ、家庭内トラブルってやつだよ。」

 

「詳しく聞かせて。」

 

「ああ。おそらく家庭内で変化が起きたのは一年くらい前。社長には一人娘が居たんだけど、病気で亡くなったんだ。」

 

「それから社長は研究に没頭するようになったらしい。大切な一人娘を亡くした悲しみはもちろんあっただろうし、医薬品会社の社長としても自分が許せなかったんだろうな。あの時は社長としての業務そっちのけで研究室にこもっていたとかで、社内でもちょっとした騒ぎになってたよ。」

 

「その熱量は生活に支障が出るレベルでな。さすがの夫人も見兼ねて、研究室にこもるのをやめるよう諭したんだって。」

 

「それがきっかけで、気が触れた社長は夫人に暴力を振るったんだ。なぜ自分の考えが理解出来ないのかってね。暴力を振るわれたのはその時一度きりだった。でも、その時死の危険を感じるほど強烈だったそうだ。それで夫人は離婚を決意したと。」

 

「その一度で…?」

 

「長年付き添った夫婦もあっけねえな。」

 

「まあな。ただ、夫人は言ってたぜ。」

 

「あの人には化け物が宿っているってな。」

 

「会社の問題として大事にならなかったのは夫人の配慮があったかららしい。会社の事があるから広めない方が良いって思ってくれたみたいだ。本心かどうか分からねえけど。どこでも噂になって無かったろ?」

 

「ええ。」

確かにCMまで打つような大企業。ニュース番組では取り上げなくても、近隣では噂くらいになりそうなもんだ。

 

「ただ社内では噂話が広がって、娘の死がショックでおかしくなっちまった社長と社長の暴力に堪え兼ねた夫人、いや元夫人。という事になってる。」

 

「という事になってる?」

どこか意味ありげな表現に引っ掛かる憐。

 

「んー。まあ、なんつうか。」

 

「俺には社長がそんな事をするように思えなくてさ。正直…まだ信じられない。」

 

「そうなんだ。武藤とは親しいのか?」

 

「いや、そう聞かれると自信はないけどな。こう見えても、俺はこの会社のホープなんだぜ?社長の家で食事をご馳走になった事くらいはある。暖かく迎えてくれたよ。あの温厚で家族をとても大切にしていた社長があんな事をするなんて考えられない。」

 

「魔術は人を狂わせる。よく聞く話ね。」

 

「ん?」

 

「分からない?武藤が奧さんに暴力を振るったきっかけは娘の死だったかも知れない。でも、要因は他にもあった。」

 

「そこで魔術が絡んでくるってわけか。」

 

「多分ね。」

 

「でも、神秘に関わる事なんてなかなかないだろ。武藤は元々魔術師だったとか?」

 

「いや、それはない。この地区に根を張る魔術師の家系は把握してる。それに武藤が元々魔術師だったなら性格の豹変は説明がつかないでしょ。」

 

「ああ、そうか…。」

 

「私が思うに、資料に書かれた黒い霧ってのと何か関係がありそう。私達があの雨の日に見た黒い霧とも同じ物かも。」

 

「田所さん、黒い霧について他に何か知らないの?」

資料をペラペラとめくり、黒い霧について記載されている箇所を探す。

 

「いやぁ…そこに書かれている以上の事は分からない。」

 

「そっかぁ…。」

 

憐は資料に一通り目を通すと、顔を上げた。

 

「何か分かったか?」

 

「まあ、少しはね。はい。」

資料の角を整えるように机にトントンと当てて、差し出してくる。

 

一番上になっているページを見ると、黒い霧についてと書かれている。どうやら、黒い霧の詳細はこのページに書かれているらしい。

 

"霧は私の身体を覆うと、全身の毛穴から入り込んできた。

その時始めて、心身共に渇きが満たされる感覚を得ることができた。最高だ。身体は軽く、力がみなぎる。今ならなんでもできると思った。破壊衝動が芽生え、この力を使わずにはいられないという気持ちになった。周りにあるものを壊しているとなんとか気持ちが治まってきた。

数分経つと破壊衝動は次第に消えていき、後に残ったのは虚しさと憂鬱さ。身体は重くだるくなり、皮膚がヒリヒリと痛んだ。この症状は半日間残った。"

 

「これだけ…?」

 

「ええ。」

 

「正体がまるで分からない…。手掛かりにすらなってないじゃねえか。これはいつ?なぜ?どうしてこうなった??何も分からねぇ、くそが!」

 

「まあね。でも、どうやら体内に吸収されると増強の効果があるみたいね。それと、衰弱の副作用。前に見た霧と同じものだとしたら、魔獣達が手強かったのもうなづける。」

 

「そうだけど…それだけだろ。」

 

「でも、これは対処法よ。もし仮に、前のように霧を纏った敵を相手しなきゃいけないのなら…時間を稼ぐ事が有効ってこと。それが分かっただけでも、大きな収穫よ。」

 

「まあ、そうか。」

グダグダ言っていても仕方ない。

憐の言う通りだ。気持ちを切り替えよう。

 

「田所さん、私達もう行くわ。教えてくれてありがとう。」

 

「ええ…?」

 

「さあ、尤。行くよ。」

 

「おい。このおっさん、いいのかよ。このままで。」

 

「まあ、大丈夫でしょ。おいで。」

 

「そんな適当な…。」

 

言われるがまま歩き出した。

すると、すぐに後ろから引き止められる声が聞こえた。

 

「お、おい!」

 

振り返ると、田所がなにか言いたげにしている。

 

「ん?」

 

「……俺も連れて行ってくれないか。」

 

「え!?」

 

「だめよ。危険過ぎる。地下に何があるか…私たちにも分からない。」

 

「頼む!!お前たちの言うように、社長の計画が法に触れるのなら、俺は止めなくちゃならない…!それが、この資料を受け取った俺の役目だと思うんだ!」

 

「………」

 

「頼む!!」

 

「気持ちは分かるけれど、連れては行けない。ごめんなさい。これはあなたの為でもあるの。」

 

 

「そうか…。そうだよな…。」

 

「じゃあ、せめて手助けをしてさせてくれ。これはカードキーだ。使った事は無いが、権限としては使えるはずだ。持って行ってくれ。」

 

「ありがとう、田所さん!でも、どうして…?」

カードキーを受け取る憐。

 

「もし…。もし、社長が人の道を外れているのなら、君達にそれを正して欲しいんだ!!」

 

「おっさん…。分かった。俺達でなんとかするから!!」

 

そうして、田所は2人を送り出した。

社員としてあるまじき行為。

彼らを信用する根拠も無いし、義理もない。

田所は我ながら馬鹿な事をしたと思う。

しかし、不思議と後悔の念は無い。

窓から外を見ると、地平線の先がもう白みがかっていた。

「何やってんだ、俺は…。」