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ラウンジ。

学生含め誰でも使用できる待合室として用意されたスペースだ。

広々としたスペースに複数の丸テーブルが等間隔に並べられていて、それぞれにプラスチック素材のチャチな椅子が4脚ずつ設置されている。端には自動販売機が設置されており、飲食スペースとしても利用されているようだ。それらは味気ない蛍光灯に照らされていて、無機質。機能さえ果たせばそれで良いという割り切りさえ感じる。


入り口から中を見渡す。

幸いにも人はまばらだ。

入り口から対角線上にある奥側の人通りの比較的なさそうな席を選び、座る。


それに倣うように対面に座る菅野。

「はー、ラウンジで話すんですね」


「ああ、ダメかな?人少ないから、この分なら資料が見られることは無さそうだと思ったんだけど。他に良い場所が?」


「あー。いや、先生の研究室に行くのかなーって思いながら着いてきたんで、予想外だっただけです」


「研究室?俺に研究室はないよ」


「大学の先生なのに?」


……


一瞬皮肉のように聞こえて、言い返してやろうかと思ったが、踏み止まる。

彼女の表情を見る限り、他意ないのだろうと思ったからだ。


「本当は欲しいんだけど、俺は教授じゃないからな。研究室を持てるのは、教授か准教授にならないと無理なんだよ。基本的には」


ふーんと言いながら、肘をつく菅野。


「先生若いから珍しいなーって思ったんですよ。やっぱりねー。じゃあ、先生はなんの先生なんですか?普通の先生?」


「普通っていうか。俺はただの非常勤講師だよ。宗教学を教えてる。専門は日本の民俗信仰だよ」


「あー、宗教学の先生なんですか。私が取らなかったやつだ」


「そっか」

顔を背けて言う。

それから、2秒あまりの沈黙。


「すると、君は2年生?」


「そうですー。宗教学より、社会学の方が楽そうだったんでそっち取っちゃいました」


「そうかよ」


それから、10分ほど雑談をした。

大体、彼女の性格が分かった気がする。

察しの悪さが足を引っ張っているが、嫌味のない能天気さが彼女の長所らしい。


そろそろ、本題に入ろう。


「君はどうして警察に協力することになったんだ?」


「あれ?刑事さんから聞いてないんですか?」


「会えば分かるって言われて、省かれたんだよ」


「そうだったんですね。あの刑事さん適当ですもんねー」


柳楽刑事も大概だけれど、菅野も負けず劣らずいい加減さが滲み出ていて、擁護も共感もできなかった。

そしてそれから、菅野はこれまでの経緯を話し始めた。


「まず何から話そうかなぁ。まずは……


顎に指を当てて、悩むような仕草をする。

そして、ふむふむと頷きながら、口を開く。


「私の家族はね。ちょっとおかしくなっちゃったんですよ、頭が。この場合は、頭っていうより心なんですかね」


あっけらかんとした表情とは裏腹に、随分と物騒な言い方だと思った。


「両親と私で3人家族。1年前までは、仲良く楽しかったんですけど。今はもうよく分かりませんね」


「よく分からない?」


「はい。母は頭がおかしくなって、今も精神科のある病院で入院してます。たまに会ってもすぐに暴れるので、長い間ちゃんと話してはいないです。」


「そうか……。じゃあ、お父さんは?」


「死にました」


「し、死んだ……?」


「はい。駅前の裏路地で、頭が破裂して死んでいるのを発見されました。警察が言うには自殺なのだそうです。父は、母と違ってそこまでおかしい素振りは無かったように思います。」


聞き馴染みのない聞き覚えのある言い回しに、思わず遮る。


「えっ、頭が破裂?」


「はい……ちょっと想像が出来ませんよね。そんな時に使う表現として初めて聞きました」


「ああ、いや。それもそうなんだけど」


「はい?」


「えっと、ちなみにお父さんが亡くなったのはいつ頃?」


「約1年前ですけど、どうしました?」


柳楽刑事から話のあった例の事件と同じかと思ったけれど、時期からして違う。

それに、こっちは自殺として認定されているというのだから、その時点で別件か。


「少し思うところがあったんだけど。ごめん、俺の勘違いだった。後でまとめて話すよ」


「あー、はい。」


「私は、本当に父が自殺をしたのか少し疑っています。あの頃、母は家でじっとしてブツブツと独り言を続けていましたけど、父はそれを必死に止めていました。警察の言うように自殺だとしたら、急に頭がおかしくなっちゃったのか、あの状況が辛くて死んだのだと思うしかないですけど、本当にそうなのかと、まだ信じられません」


「じゃあ、お父さんは誰かに殺された可能性もあるってこと?」


「分かりません。でも、そっちの方が腑に落ちるというか……


「そうか。これ以上聞いて良いのか分からないんだけど、一年前に一体何があったんだ?」


彼女は、淡々と無感情に、その先を説明をしてくれた。

この話はきっと、散々と警察に聴取された内容なのだろうが、それにしてもやけに他人事のように淡々と話すという印象だ。


彼女の両親は、製薬会社に勤める研究者だった。

赤海市には、武藤製薬という有名な製薬会社がある。

その武藤製薬に勤めていた2人は、職場恋愛を経て結婚。

その後、菅野ひかりを授かることになる。

母親はこれを機に、仕事を辞めたそうだ。


そして、菅野ひかりが大学生の頃、事件が起きた。

母親がとある新興宗教から勧誘を受けることになる。

母親の友人はその熱心な信者で、関心はなかったけれど義理もあって断り切れずに入信することになったそうだ。

始めは、PTAや町内会の面倒な会合に参加するような様子だったが、いつの間にかそれが変わっていく。

熱心な信者へと変わっていく。かわ

そ間もなくして人格が別人のように変貌した。

いつも笑顔で温厚だった母親は、表情は落ち込んで、ことあるごとに喚き散らすくらい短気になっていった。

盲目的というか、強心的というか、その危うさは誰の目にも明らかだったそうだ。ちょうない


そんな母親に対して、父親は献身的に看病をした。以前は研究に没頭するあまり、家庭を疎かにすることもあったが、それを省みて出来る限り家に居る時間を作るようになった。しかし、母親の状況は、悪くなる一方だった。

月に数回あった、会合に行くことを禁止して、母親が呟く謎の言葉に耳を傾け続けた。すう。対応した

もちろん、菅野ひかり自身も、当然父親と協力して母親の面倒を見たそうだが、大学が始まったばかりで忙しかったため、父親ほど母親を気に掛けることはできなかったそうだ。

そんな生活を半年続けた頃、父親の具合が悪くなった。仕事を休み、鬱のような症状だったらしい。それでも、父親は母親と向き合い続けた。

その頃には、菅野も精神的に疲弊していて、家に帰るのが嫌になっていた。

そんな状況で、父親が不可解な死を迎える。

市内の駅からそう遠くない路地裏で、頭部が破裂した状態の父親が発見される。

警察からは、自殺と断定されて処理されたという。それによって、この事件はメディアで取り上げられることはなかった。

その後、母親は精神科のある病院へ入院し、菅野ひかりは父方の祖父母と暮らすこととなった。

現在は、その祖父母宅から大学へ通っているのだそうだ。

引っ越しを終えて数週間が経ってから、柳楽刑事が訪ねてきたのだそうだ。


そして、菅野ひかりは、一通りの説明を終えた。

最初に会った時の雰囲気から予想していた状況とは、随分とかけ離れていた。

たしかに、身内のこんな状況を淡々と説明してしまうことや、気丈に振る舞ったとしても、普通はこんなふうに笑えないのではないかと思った。

菅野ひかりの性格や特徴を誤解していたのかも知れない。この話を聞く前のほんの数十分前と比べて、今は菅野ひかりという人物の本音が伺い知れない。実体の伴わない虚像を相手にしているような気さえする。彼女を薄く覆うモヤのような漠然とした不気味さがある。


「でも、私。こんなことが起きても平気で生活しているんですよね。父や母と同じように、私もおかしくなっちゃったのかも」


……


「ふう。両親についてはこんな感じです」


……そうか。すまない。辛いことを思い出させてしまって」


「いや、気にしないでくださいよ。そのつもりで来ましたし」


「ありがとう。ちなみに一つ質問なんだけど。その新興宗教というのは、どんなものだった?名前やマークなんか分かる?その他に、習慣が分かれば嬉しいんだけど」


「名前とかですか……。名前はたしかーなんとかコウシン会って言ってた気がします。」


「コウシン……り、倫理降神会か!?ほんとうにあったのか」


「知ってるんですか?」


「知ってると言うか……。倫理降神会というのは、噂の宗教団体なんだよ。都市伝説みたいなさ。なんでも、悪い噂が広まって一度だけ警官複数人が突入するような騒ぎになったらしい。でも、結局決定的な問題は見つからずに、有耶無耶になった。それからすぐ、10人ほどいた関係者を含めて、施設内の全てが雲隠れしたんだとか。再度警察が尋ねた時には、もぬけの殻だったらしい。」


「へえ……


「まあ、俺は全て終わってから聞いた話だから、そもそも全部嘘だと思っていたんだけどね。でも、それが本当だとすると、話は変わってくるな」


「怖い噂ですね」


「確かにね。でも、噂は噂だ。どこかで尾ひれが付いているだろうし、あまり気にしない方がいい。他に、何かあれば教えて欲しいんだけど」


「んーすみません、あとはちょっと分かりません。前の家に戻れば、何かあるかも知れませんけど。」


「そうか。それは、家族3人で暮らしていた家ってことだね。そうだなぁ。辛いかも知れないけれど、探してもらえると嬉しい」


「いえ、分かりました」


「じゃあ、次は俺の番かな。でも、その前に少し休憩しようか」


ここで小休止。

喉の渇きを潤す為に、自販機で飲み物を買うことにした。主に喋っていたのは菅野だ。もちろん彼女の分の飲み物も一緒に購入した。

さきほどの、教授とも研究者とも名乗れない自身の不甲斐なさを打ち消したいと思ったわけではないのだ。研究室のないただの非常勤講師であるという客観的評価を上から塗り潰すように、100円ちょっとくらい屁でもないという大人アピールをしたかったわけでもない。断じてない。


席に戻る途中、隣を歩く菅野が喋り出す。


「ふふ。子供みたいですね」


「ん?」


菅野の視線を追いかけると、俺の手元の飲み物に行き着いた。

ストローを差し込むタイプの円柱状の容器に入った飲み物である。

パッケージには、"果汁感たっぷり果肉入りいちごミルク"と書かれている。


半笑いで続ける菅野。


「いちご好きなんですね。可愛いですね」


「いいだろ別に」


そう言う彼女はどうなのかと、菅野の持っている飲み物を確認する。

紅茶(無糖)が見える。

おいおい、無糖の紅茶がそんなに大人なのか。紅茶か、それとも無糖が偉いのか?

喉まで出掛かっていた言葉を飲み込む。どう足掻いてもダサくなるだけなので黙ってやり過ごすことにした。

そうして、細やかな大人アピールは失敗に終わった。


席に戻って数分間。

いちごミルクと今後の行く末を思案した。

俺たちはもう会わない方がいいのかもしれない。

いちごミルクのことは好きだけれど。子供に好まれやすい甘酸っぱい味わいから来るいちごミルクに付き纏うイメージ。それを俺はまだ背負う覚悟が出来ていない。味の好みで嘲笑される日が来ることを予想していなかった。その逆境をすら、二人三脚で進み続ける勇気が無ければこの先は難しい。

お別れの時が来たのかもしれないと悟った。


そして休憩を終える。


「そろそろ再開しよう」


そう言って、柳楽刑事から受け取った捜査資料冊子を、菅野の前に差し出した。


「これは」

冊子を手に取り、ペラペラとページをめくる菅野。


「柳楽刑事からもらった資料だよ。今のところ渡せる資料の全てだそうだ」


「これってもしかして、この前市内であった殺人事件ですか?」


「知ってるんだ」


「はい。ニュース見ました。父のことと似てるような気がしたので、覚えてます」


「俺も、さっき話を聞いていた時に思った。似ているというか同じ事件なんじゃないかって思ったよ」


「そういうことかぁ。だから、さっき父が死んだ時期を聞いたんですね」


「うん」


それから、冊子の中身も含めて柳楽刑事からもらった情報を、菅野に伝えた。

境常神道に関することは、長くなりそうだったので、簡潔にまとめた。

後日、改めて説明しようと思ったからだ。

赤海市内破裂死体事件の現場に落ちていた紙切れに描かれた印は、紛れもなく境常神道のものだった。

わざわざ紙に描いて落としているところが、人の意思を感じる。

まだ情報は足りないけれど、事件と境常神道の関連性は高いだろう。

何者でもない俺なんかに依頼したくらいだから、柳楽刑事もそう考えているに違いない。


「でも、これは殺人事件なんですね」


菅野は、冊子の一枚目を摘み上げて、ヒラヒラとなびかせながら言う。


「どういうことだ?」


「父のこととすごい似てるのに、これはどうして事件ってことになったのかなって」


「そういえば……そうだな。逆に何が違う?」


「うーん。人と服装?それとお札見たいなやつですね」


「被害者の違いはともかく。服装と印の有無によって事件性が上がるか?」


「ですねぇ」


「そもそも。君が言っていたように、お父さんの件が自殺と断定されたこと自体が不思議だ。捜査はしっかりと行われたんだよな?」


「はい、多分」


「この資料の事件がニュースに流れるようになってから、捜査を再開したとか、そんな連絡はないのか?」


「柳楽刑事以外から連絡はありませんね。柳楽刑事からも近況報告をさせられるだけで、何かを教えてくれることはあんまりない気がします」


なんだか釈然としない。

菅野ひかりの話と資料を照らし合わせて考えるなら、どちらも同様に凶悪な殺人事件に思える。

警察内部の恣意的な何かを勘繰ってしまうのは、考え過ぎだろうか。

この件について、柳楽刑事がどう考えているのかが気になる。

次に会う時、それとなく訊いてみるか。


「あの、山井先生」


そう言われて、冊子から目を離して菅野を見る。

菅野は、神妙な面持ちでこちらを見つめている。


「どうした?」


「この事件のこと、何か協力できることはありませんか?何が出来るのかわかりませんけど、手伝わせてください」


「え、協力?話を聞かせてくれるだけで、十分協力してくれてると思うけど」


「いや、そういうんじゃなくて。もっとちゃんと力になりたいです」


少し意外だった。

話ぶりからして、父の件と何か関連性があったとしても、既に気持ちの整理は付けているのだと思った。

彼女は、もう新しい日常を受け入れようとしている。だから、彼女の事情を聞いてから事件のことを説明するのも、気が引けた。彼女のことを考えるなら、すぐさま話を打ち切り、適当な感謝を述べて立ち去るべきだとも感じた。


なんだろうか、この違和感は。


自分で言うのもなんだけれど、俺は空気が読めない方ではないはずだ。彼女の第一印象と本質というか本性のようなものがズレていたことは、認めよう。

しかしながら、こうして1時間以上話してその人の人間性が分からないような生き方をして来たつもりもない。

ただ、彼女に関しては、菅野ひかりにおいては、その限りではない。端的に言って掴みどころがない。歪んでいるとか、矛盾しているといった話ではなく、2つもしくはそれ以上の人間的の本質が共存しているような気がする。それらは、反発し合うことなく、常に適切な距離感を保つようにして、自己崩壊しないようになっている。会話中、2つ以上の人格がしきりにスイッチし合っている。

だから、俺が彼女のためになると思ったことは、むしろ彼女の為にならないかも知れない。


「どうですか?」


「まあ、君がいいならそれでもいいけど」


「ほんとですか?」


「うん。でも、わざわざどうして?」


「この事件はきっと、父の事件と繋がりがあるように思うんです。父がなぜ死んだのか知りたい……知りなきゃいけない気がするんです」


「いけない気がする、か」


どう捉えたらいいか迷い、視線を逸らす。

外を見ると、既に陽は暮れて、さっきまでチラホラ歩いていた学生たちの姿も無くなっていた。

いつの間にか19時を少しだけ過ぎている。


「それじゃあ、また連絡するよ。まだ、境常神道の話ができていないし、少なくともお母さんの入信している宗教については聞いておきたい」


「はい、了解です!」


連絡先を交換して、解散した。