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②通力を司る者たち

どうも、七緑です。



今回は歴史です。それぞれの宗教の成り立ちに触れられるように、想像を働かせて、話していきます。


まずは、歴史が長いであろう境常神道からですね。想像するに、神話としてありがちな伝承があるでしょう。世界の成り立ちや信仰対象への畏怖を伝えるような逸話です。

世界の成り立ちから神が関わっているという創造主とその周囲の絶対的な力を持った神々というギリシャ神話を筆頭としたいわゆる神話的な考え方ではありません。この世の成り立ちや万物関する法則は、我々の知っているこの世界観と全く相違がありません。しかし、人類を脅かす上位生命体の存在が露見してから、人々は畏敬の念を込めて、彼らに神の称号を与えます。つまり、境常神道とは、神々の存在を知った人類が、神々の住処である常世をどう扱うべきか周知し、監督するために設けた組織という事です。

そのため、思想の範囲は限定的で、人々を導くための教えのような役割は、果たしていません。

彼らはかつて起こった災害のような事件が、再度起きてしまうことを何より恐れて、未然に防ぐための働きかけをし続けています。


これらの体制に疑問を感じ、独立した一派が倫理降神教です。彼らは、境常神道の思想に疑問を感じて反旗を翻した存在なので、思想は正反対になる部分が多く見受けられます。

常世との接点のない人々からすれば、この世の滅亡を目的とする秘密結社のような印象を受けるでしょう。


彼らの最大の目的は、常世の住人である神々をこの地へ降ろすことです。

伝承によれば、神々の降り立った地は地獄と化したそうです。神々の分泌する泥のような液体は、その地の全てを飲み込みました。それに触れた生物の形は変わり果て、多くの死者を出しました。境常神道の伝承では、これを呪いや祟りとして扱っています。触れた者を死へと導く呪いです。


しかし、倫理降神教は全く逆の立場を取っています。というのは、神の降臨によってもたらされたのは、損害だけでなく恩恵もあったように思えたからです。泥は人々に死をもたらすだけではなく、人類を進化させました。その恩恵を受けたのは、ごく一部の人間でしたが、泥による被害を受けず、身体能力は飛躍的に向上し、第六感を司るようになりました。彼ら覚醒者は、常世と現世の扉となることができます。その力を使い、覚醒者以外の人類を減らすことは、世界にとって良いことだと信じている者の集まりが倫理降神教なのです。



ここまで来て気になるのが、倫理降神教の独立は、何がきっかけで起こったのかという点です。

次回は、そんな話ができればと思います。

では、近いうちに。