どうも、七緑です。
前回の続きから。
デッサン力を高めるための取り組みを阻む3つの壁があるようです。
①漠然と難しそう。
②短期での取り組みに効果が望めない。
③練習法が分からない。
これらは、それぞれを補い合っているのでしょう。漠然と難しそうだと思うのは、ほんの少し取り組んだところで効果が現れなかったことによるものですし、短期での取り組みに効果が望めないのは、練習法が間違っているのではという、不安があるからだと思います。そんな、折り重なった苦手意識を跳ね除けて、デッサン力を手に入れるにはいくらか工夫が必要です。
では、どうすればよいか考えてみましょう。
まず、私達の欲しがっている「デッサン力」とは何でしょうか。どうもこれがぼやけてしまっているせいで、取り組む意欲が減少してしまったり、練習法が定まらないという問題が起こっていそうです。
私達は基本的にキャラクターイラストの品質を向上させるために日々努力しているわけですが、それにデッサン力が必要となっているということを前提に話を進めなければなりません。決して、デッサンが上手くなりたいわけではないのです。
その上で、私達が「デッサン力が足りない」「デッサン力が欲しい」と顔を歪めて懇願するタイミングはいつでしょうか。
それは、Twitterで神絵師の絵を見かけた時ですか?いいえ。もう少し大雑把な感想を持つはずです。「絵が上手くなりたい」と。
そうではなく、キャララフを描いている時ではありませんか?思い通りの魅力的な構図を実現させるために、大雑把で大胆なラフから、線画を描ける程度に細かく描き込んでいく途中、自身の「デッサン力のなさ」を恨めしく感じながら、描いては消し、描いては消す。そんなこと、日常茶飯事ですよね。
ここでの悩みに関して、もう少し深掘りしましょう。
このもどかしい感覚はどういった問題をクリアするために、デッサン力を必要としているのか。
先ずは、単純に(1)形が取れない問題。次に、(2)形は取れるが、構図に適していない問題。最後に、(3)形も取れるし、構図に適しているがなぜかしっくり来ない問題。
おおよそ、この3つのいずれかに分類されるのではないでしょうか。これらを解決しても改善しない問題というのは、そもそも他の工程に問題があると考えてよいでしょう。
(1)形が取れない問題
これは、1番初歩的な問題です。
絵描きにとって真っ先に躓くポイントでしょう。人体の構造、平面的に見た時の人間の造形を覚え込む事が必要です。キャライラストの参考書やデッサン入門書などの冒頭に記載されているような内容です。私としては、私達はこの問題はクリアしていると考えています。もしくは、今の水準で、問題視するべきでない箇所です。それ以上に以降の2点が凶悪だと考えています。
(2)形は取れるが、構図に適していない問題
ここからが本題です。
ここの場合の「形が取れる」とはどういう状態かと言うと、その部位だけ見れば違和感のない状態のことです。例えば、手を描いているとしましょう。しかし、上手くいきません。自分の知る限り"正しい"手を描いています。そこだけ見れば限りなく真っ当な手なのに、しかし、他の部分と合わせると違和感があります。私が長らく感じ続けている問題点のほとんどはこれです。他の方も思い当たる節があるのではないでしょうか。
これは、人体の情報を平面的に入手しただけで留まっており、立体物として捉えられない問題が発生しているようです。知っているはずの部位を、頭の中で傾けて見ようとしますが、その瞬間モザイクが掛かったように想像が不鮮明になります。だから、どうしても想像できる範疇の平面的な構図に留まってしまい、他の部位との違和感が出てしまうのです。
(3)形も取れるし、構図に適しているがなぜかしっくり来ない問題
そして、構図に適した状態を描き込むことが出来たとしてもなぜかしっくり来ないということもあります。
一難去ってまた一難。こうなってしまうと、お手上げ状態になってしまうのも無理はありません。
しかし、この問題についても考えなければ先に進めません。
では、何が起こっているのか。
この場合は、十中八九絵柄の問題だと考えています。試行段階で自信を持って言えませんが、おそらくそうだろう、と。
絵柄とはそのイラストの統一性を系統別に分けられる場合の言い回しです。とある演出的意図、趣味趣向に特化した絵の性質を表すわけです。従って、バイキングのようにあらゆる要素を好き勝手に各部位に充てがって良いわけではありません。
そのような統一性のなさによる不和のようなものを起こしている場合、絵柄として成立せず無条件に作品としての魅力を激減させるでしょう。
長くなってしまったので、今回はここまで。
次回は、それらを解決するための練習法を考えます。
では、近いうちに。
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