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③試行錯誤の旅

どうも、七緑です。



前回の続き!!


②本能的な感覚

私は絵を描いている時の手順をなるべく、整理しながら進めていくタイプです。レイヤーの名前も分かりやすいように変更しますし、後から修正しやすいようにきっちり分けます。その上で各工程(ラフ、線画、着彩、加工)に関してもウォーターフォールモデル的に後戻りせずに済むように進めていきます。それ自体は問題ないようにも思えますが、知らず知らずのうちに絵の品質を落とす原因になっているようでした。

本来イラスト作業を円滑に進めるためのこの方針でしたが、いつの間にか「後戻りしないように進めなきゃ」という気持ちが先行してしまっていました。

それによって、例えばラフが終わってから、ポーズ修正する事を嫌ったりしてしまうわけです。つまり、極端なことを言えば、絵のための工程てはなく、工程のための絵になってしまうわけです。工程の呪縛は思いのほか強くて、意図的に解放してあげなければ、自身の持つ眼以下の出来栄えになってしまいます。少しくらい違和感を覚えたとしても、「まあ、いいか」「次直せばいい」「好みの問題だ」など、あらゆる言い訳を受け入れる隙を作ります。

そのため、私はこの工程を遵守することをやめる意識を持っているわけです。フレキシブルに各工程を跨いで、感覚に従って修正します。その結果、今持っている眼の水準に極めて違い作品が出来上がるわけです。

これは、別に飛躍的に品質を上げる手段ではないでしょう。しかし、自身の欠点と向き合うための効果的な方法ではあるかなと思っています。

「練習の練習をしない」という考え方に近いかも知れません。



③根本的な理想

イラストを描き始めた頃から、好きなイラストレーターは変わらずこやまひろかず先生でした。特に着彩が魅力的に感じていました。それまで見てきたイラストとは違い、圧倒的でした。あえて言葉にするなら「このキャラは世界のどこかに、確かに存在しているんだ」と感じさせてくれるわけです。

そんな絵柄に憧れた私はイラストを描き始めて、先生の絵を参考にして描いていました。しばらくの間は良かったのですが、数年が経ち、伸び悩むようになります。

その後、アニメ塗りを試してみる期間があり、かやはら先生の絵を参考にし始めたのが数ヶ月前です。

そして現在に至ります。

今も練習中ですが、一定の成果が認められたという前提で話します。

結論から話すと、この試みから2つの発見がありました。1つは、自身の理想を再現するには眼が必要ということ。もう1つは、その眼を手に入れるには客観による発見が必要ということです。

眼とは、絵を判断する力のことを指しています。自分の絵は、参考と何が違い、何が不足しているのかを判断する能力です。

客観による発見とは、自分の眼はまだ未熟かも知れないという立場から、試行錯誤することによって得る発見のことです。絵を描き始めた頃の私は、眼が未熟でした。それから、いくつかのきっかけを経て、様々な発見をします。ここで重要なのは、今ある目線を深めていくのでは、決して気付けない要素があるということです。私はアニメ塗りを試したり、他のイラストレーターの絵柄を参考にするといったことをやりました。別の道からでなくては、見つからないことがあるのです。



現状、強く意識している3要素を話すことができました。

これらをマスター出来たら次のステップに進むための新たな意識が芽生えるのだろうと思います。

では、近いうちに。